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更新日: 2013年4月9日

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私の家族には、命に3つの生き方がありました。

諦めた命・・・・・妹
今から31年前、私の妹は、命を自らの手で絶った。
父母、そして兄である私にも何も告げずに、旅立った。
今でも、なぜそうなったか? 誰も知らない。そして自ら、運命を閉じた。
兄として、何もしてやれなかった無力さを悔いる人生を暫く歩む
後悔の意味を悟ったあの日。

生きられなかった命・・・・・・父
父は、今から14年前 白血病と闘病の末なくなりました。
生前の父は、自らの生い立ちで、祖父の死後、再婚し父と祖母は別性
を名乗る事となる。祖母は家を断絶させぬが為の思い。一方父は「生孤独だった」と
ただ、まだ生きてすることがあった。役員としての会社の仕事・盆栽・檀家寺の御世話
・・・・・・けれど天は、命を与えなかった。
仕事の引き継ぎ、遺産相続をすませ、自らの葬式の段取りさえ決め、写経をしていた。
見事な男としての生きざま・死にざま見せて頂いた。あなたが、死んでから必ず
私も納得のいく生きざまをお見せする事を誓ったあの日。

生き延びた命・・・・・・息子
息子は今から11年前、養子として3歳の時に我が家へ来た。
アパートでゴミに埋もれて遺棄されていた3兄弟の末っ子だった。
卒園の年に、真実告知をした。「貰ってくれてありがとう」と・・・・・
只々、号泣した日の事鮮明に記憶している。大人のエゴの冷酷さ改めて知る事となる。
生きる覚悟を決めたあの日。

3つの命を31年に至る道で見てきた、こうして辿り着いた今がある。
「生き抜くことが人生だ!」 そう,何があっても生き抜く!
神が、生きる事許すこと止めるまで生き続ける事です。

息子よ、私もそう生きていく、お前も私に続け。
「生き抜く事が人生だ!」