95年の生涯


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祖母が亡くなりました。

3歳になる前に母が亡くなってから、祖母がまだ幼い兄と私を育ててくれました。

私の母はお金や男性にだらしなかったらしく、祖母からはよく思われて無かったようです。

母に似ている私は兄とは明らかに違う、しつけを受けて育ちました。

女の子だから。嫁に出した時に恥無く…と、言う気持ちも確かに、古い考えの祖母にはあったに違いありません。

気が付くと小学校の頃、私は一般的に言う虐待を父からも受けていました。

一、二年が過ぎた時。
叔母に子供ながら何か分からず、助けを求めました。叔母は私を助けようと児相に行き中学一年の夏休み終わり、一時保護所に3ヶ月入所。
施設か帰宅か。当時の私は帰宅を選択。

帰宅して数日に言われた祖母の言葉。
「お父さんに恥かかせて」

私、そんな事してないよ。
私、何一つ悪くないよ。
声が出なかった。言いたかった。

子供にとっては、どんな家族でも
そこ。に、愛や安らぎ、甘えを求めるのは自然な事。その時期に我が身一つで出て行く決心を、その言葉を聞いて施設入所を決めました。

色んな子に会えました。
心の深い、深い所で傷付き、苦しんで。純粋で壊れそうな心で皆きっと必死に生きてました。
ただ、自分らしく生きようと。
自分に素直に生きようと思った時期でした。

中学時代を施設で過ごし、高校入学。
施設に居れば普通に学生生活を送れたのに…
私はそれでもやはり家に帰りたい一心で、自宅近くの定時制に進学。
卒業と同時に二年数ヶ月ぶりの我が家に帰った。
よく見たら。
より腰が曲がった祖母。

そういえば小さい時に作ってくれてた焼きそばはフライパンが見えなくて、いつもカピカピで焦げてた。
シワがより一層、深くなり手足は細くなり確実に老いていた。
たった数年前なのに、小学生の頃に見ていた気が強い、私を力いっぱい育てていた祖母では無かった。
私が居なかった時間。
祖母は私を心から心配して過ごしていたのを感じた。

一年もしない内、私は子供を産んだ。

私の宝物に祖母は心から喜び、大事に大切に子守をしてくれた。
その時には私を育てていた時の厳し過ぎる祖母の面影はひとつも無かった。

今思うと。私が子供を産んだ事で育て終わった責務から放たれて、本当の孫に会った感覚だったのでしょうか。

私の子が2歳になる頃、祖母は身体を悪くし入院。退院後も以前のようにはなれず。
どうしようもない父は面倒看きれず、年老いた祖母を田舎に帰した。
私も小さい子を連れては、引き止められなかった。全てに余裕が無かった。

それから、8年。

ボケもせず、体調も戻しデイサービスに通い、一年に一度、会えるか分からない私と、ひ孫に逢える日をいつも楽しみに過ごして…

95年の生涯に幕を閉じました。

あんなに怒られたのに。
あんなに叩かれたのに。
あんなに憎んだのに。

子供が産まれた時、杖をついて病院まで来て1番に抱いてくれた。
曲がりきった腰で、追いかけて細い手で、あの子を一生懸命見てくれた。
仕事から疲れて帰って来たら、座りながらうたた寝して私を待っててくれた。
寝ぼけながら、あの子の名前を呼んでいたね。

本当に。恨む位に厳しく、私を育ててくれた祖母。
老いて穏やかになったのか、私が大人になったのか。

今も分からないままだけど。

冷たく、硬くなったばぁちゃんに触れた時、もう居ないのだと。
いつまでも命が続くんじゃないって
いつ、この命がなくなってもいいように自分の人生を悔いが無いように、全うしなさいって
触れたこの手に教えてくれた。

私を育ててくれて、本当に本当にありがとう。
心配しなくても私は大丈夫。
ゆっくり、休んでね。

ただ、自分らしく生きようする私を、迷った時や立ち止まった時に、これからも曲がった腰で背中を押して。

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