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更新日: 2013年1月22日

heal

学二年生の時に、宿題をやるようにわたしにいいつけて出かけた母と、要領が悪かったせいで終わらせることのできなかったわたしとの間ですれ違いが生まれ、「生まなければ良かった」と母に言われました。
隣の部屋で呟いたつもりだろうけど、ヒステリックな母の声はドア越しに、しっかりわたしの耳に届いていました。

小学六年生の時に、些細なことで喧嘩した母とわたしは、一日中いがみ合って、結局、夜はわたしが寝るまでの間一切口を聞きませんでした。できるだけそんな空間にいたくなくて、早くにベットに入ったわたしは眠れず、帰ってきた父と母の会話を聞いていました。「頭のおかしな子」と言った母に、父が何も言い返さなかったことが悲しかった。

それからしばらくして、中学に上がって高校受験で、また母と喧嘩をした時。わたしは叔母の家に避難をしていました。ヒステリックになった母といい争わないように、なんとかして逃げようとしていました。
喧嘩の内容を叔母に話すうちに、どんどん昔のことまで話してしまって、今まで母に言われたことを全部話してしまった。

「本心じゃない」「感情的になっただけ」と叔母に励まされたけど、あれが口先だけとは思えませんでした。でも、じつの娘じゃないのに優しくしてくれて、励ましてくれた叔母は、母以上に好きです。自分の娘を怒鳴らないように、怒らないように努力する叔母が大好きです。