じいちゃんの分まで


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私の両親は共働きで学校の行事に出れないことがほとんどだった。親子で参加する行事も来てくれなかった。
私は悲しくてその場で泣いたのも覚えてる。
なんでみんなは親が来てるのに私は一人なの。
って言いながら…
家に帰ると親をせめたこともあった。

そしたらじいちゃん
今度からはじいちゃんがいっちゃるけんね。
って言ってくれた。
それからじいちゃんが行事に来てくれた。
それから歳月がたち
母は仕事を辞めた。
私が車いす生活になったから…

そして私が車いす生活になった7ヶ月後じいちゃんは倒れた。
お昼頃救急車が通っていたからどうしたんだろ
って思っていたらじいちゃんが倒れたと電話があった。

私たちはすぐ母に電話をして病院へ行った。
原因は脳梗塞だった。

信じられなかった。
これまで元気だったじいちゃんが弱々しく横になっている。
じいちゃんは身体を動かすことが好きで田んぼをしたり散歩をしたりしていた。

じいちゃんは認知症もあり自分がどんな状況にあるか分からなくなっていた。
自分は歩けると思って立ったら転けて頭を怪我していることが多かった。
それから抑制帯をされていた。
じいちゃんは外して外してって言っていたけど外すことが出来なかった。私はじいちゃんを見たら涙が溢れてじいちゃんの顔を見れなかった。
そんなことが続きじいちゃんは無事退院した。

家では夜中に大きな声を出して眠れなかった。イライラしてじいちゃんの側から離れたかった。
病気でなってることは分かっていたけど今まで元気だったから受け入れられなかった。
そして誤嚥性肺炎を発症して入退院を繰り返していた。
入院したら寂しくて心に大きな穴が開いたみたいだった。
お見舞いに行くのが楽しみになり声をかけると
○○来てくれたんかい
っていってくれた。
嬉しかったけどそれは長くは続かなかった。日に日に悪くなっていくのが目に見えて分かった。名前さえ分からなくなった。そして大きな声で怒鳴られたことも度々…
涙を見せたらいけないって分かっていても止まらない。
あの時のじいちゃんは?
ってなった。
そして亡くなる1ヶ月前から黄疸が出始めた。
長くないて思ったからじいちゃんと写真を撮った。
じいちゃんはニッコリ笑って、写ってくれた。

そして写真を撮った1ヶ月後の今年、5月29日じいちゃんは旅立ちました。

その次の日は私の誕生日だった。じいちゃんが悪いものを一緒にもっていってくれたんだって思った。

じいちゃんありがとう。
じいちゃんゆっくり休んでね。
私はじいちゃんが大好きです。

友達と再会しめいいっぱい自分のやりたいことやってますか?

私はじいちゃんの分まで生きるからね。

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