本ページはプロモーションが含まれています。

更新日: 2012年12月12日

post

当たり前のことでも当たり前ではない!

娘を授かり当たり前のことがどんに恵まれていて、幸せなことかを知りました。

3000gオーバーで待望な女の子。

将来一緒に買い物したりオシャレさせたり、楽しみを抱きました。

でも、生後2週間で私は娘の両目に異変に気付きました。
病院にいくと、眼球内に腫瘍があるかもしれないから、大学病院へすぐ行きなさいと1週間後に予約をとってくれました。

腫瘍だったら両眼摘出しなければいけないと言われ、その1週間は味わったことのない不安、悲しみ、絶望を経験しました。

大学病院に見せに行くと日本でトップ3に入るテレビにも出ないくらい偉い教授と言われる先生に「この子は将来盲学校だよ」と言われました。
その時全く理解が出来ず、先生がまた、「今の医学ではこの子の目が見えるようにすることはできない=目は見えない」と理解できるよう言い直しました。

普通に聞けば理解できる言葉なんですが、そのときの私には何回説明されても理解できず、なんとなくわかり始めた頃にはパニックになってました。

何も見せてあげられない、女の子としてのオシャレと言う楽しみも満足にさせてあげられない、将来子供ができたとしても子供の笑った顔も見ることもできない、夢だった一緒にあーでもないこーでもないとショッピングもできない。
何度も何度も、なんで?なんで?なんで?と考えても問いかけても答えはない。

私が落ち着いた頃、私と旦那も検査をされました。
検査が終わり、トイレにいってかえってくると旦那が先生の部屋から出てきて、その足で私のとこまで来て「ごめん、あの子の病気俺の遺伝で、”両眼性家族性滲出性硝子体網膜 症(FEVR)” だから家族みんな検査した方がいいって、俺も網膜が弱く傷がついてるって先生に今呼ばれて言われた。」

それを聞いて、”あ~だからあの子がパパの病気を教えてくれたんだ”と、あんなに理解できなかったことがいとも簡単に理解でき楽になったと同時に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

娘の病気は両眼性家族性滲出性硝子体網膜症(FEVR)。
とても珍しくこの病気の遺伝子を持っていても、娘のような状態になることはどんだけ分の1とかの確率らしいです。

だからこの病気の手術できる先生も日本で2人しかいないそうです。

娘は小さな体でたくさん手術を乗り越え今1歳になり、光だけだけど感じるようになりました。

視覚障害者1級として障害者手帳ももらい世間一般的にも障害者になった今でも回りがどうより私自身がまだ受け入れられなくて苦しむことはありますが、娘はすくすく成長し健常者にくらべ20%しか情報がわからず、80%情報が足りない状態で生活をこれからしていく娘を支えてその80%を埋める努力、(恩返し)しなくてはいけないので、娘と一緒にがんばります。

すごい確率の中、病気を教えてくれる為に自分が障害を持って私たちのところに産まれてきてくれた娘。

当たり前のことが当たり前ではない!ということを教えてくれる為に産まれてきてくれた娘。

私たちの特別な”宝物”です。