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更新日: 2012年11月11日

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私は父が嫌いだ。

父は自営をしていて社長だ。
そのせいか、弱いのに毎晩お酒を飲む事が癖になり、いつの間にかアルコール依存症になっていた。今後一切お酒を飲んではいけない病気だ。
それでも母と私に隠れては飲み、苦しみ、躁鬱病も併発した。私たち家族の戦いの始まりだった。

しばらくすると、飛行機を使わないと行けない場所に住んでいる親戚の所へ、仕事のために行く様になった。恐らくお酒を飲んでいると思い、一度私は監視役としてついて行った。案の定、どこでもかしこでも父にお酒を勧めていた。私はそれを全て止め、飲ませないようにした。
その日の夜中、一升瓶を抱えて日本酒を飲んでいる父の姿を見た。とても切ない気持ちになり、何も言えず、そのまま見て見ぬ振りをした。

その後何度もその親戚の家に行っていたある日、一通の手紙が届いた。
「“乾杯”の写真は秘密で」
と言う一言と共に、とてもいい笑顔で乾杯をしている写真が同封されていた。
私はこの親族に嫌悪を抱いた。

あれだけ飲ませてはいけないんだ、病気なんだ、決して飲ませないでほしいと念を押し、何度も何度も病気の説明をしたのにも関わらずこの人たちは私たちの苦しみをよそに父にお酒を勧め、飲ませていた。

なぜ飲むのか。
病気なんだ。
飲んではいけない。
薬は飲んだのか。

母も疲れていたのだと思う。
父を責めた。

少しすると、父が家に帰ってこなくなった。探してもいない、見つけても逃げる…そんな日が数日続いた。
ある日の朝、母が父の車が家にあるのを見つけた。急いで家中を探し、父を見つけた。

父の体は冷たくなっていた。

なぜあの時もっと話さなかったのだろう。
スキーしに行こうと誘われた時、嫌がらずに行けばよかった。
ちゃんと笑顔で話をすればよかった。
ああすればよかった。
こうすればよかった。

親孝行をする前に居なくなった父が嫌いだ。
ウェディングドレス姿を見ずに、孫の姿を見ずに死んだ父が嫌いだ。

でも本当は大好きだよ。
病気を克服してほしかった。
生きていてほしかった。

もう13年前の話。
私は未だにその親族が許せないでいる。
葬式に来ず、謝罪もせず、むしろ何故お酒を飲ませなかったんだ、だからこうなったんだとさえ思っているだろう。
一生許せないし、あの写真やあの言葉は忘れられない。

ご両親はご健在ですか?
居なくなってからでは遅いです。
できるうちに親孝行をしてください。
遅いも早いもありません。

後悔をしない様に…